第2章
アステカ関連地図
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はやはり利巧者で、決して威圧的に出ることはなく、カシケたちを終始友人として扱った。コルテスの機嫌は上々であったが、その機嫌のよさは、会談中に大勢の人夫によって運ばれてきた七面鳥や魚や果物などの貢ぎ物を見てさらに倍加された。カシケたちの態度も、だんだんとうちとけたものとなっていった。帰りぎわには彼らはすっかり満足した様子で、「もはや抵抗するつもりのないところをおしめしする品々を持って、明日また参上するでありましょう」と言いおいて帰っていった。
しょの7
翌朝、タバスコとタバスコに組みした町々のカシケたちは、大勢の供まわりをひき連れて約束どおりコルテスのもとにやってきた。今日の彼らは盛装していた。ここタバスコは各地のさまざまな物産の集散地だけあって、彼らの装束も飾り物もあかぬけがしていた。が、その分、蛮勇の男ぶりにはいささか欠けるところがあった。彼らはコルテス以下我々全員に挨拶を送ると、昨日と同じようにコパルの香をたいて我々にふりかけた。これが彼ら流の外交儀礼なのだ。
彼らがやっと本気になって持参した献上品は、四個の冠、コウモリや犬や水鳥などをかたどった飾り物、首飾り、儀式用の仮面、それにサンダル敷きなどの黄金細工の数々だった。これを見てコルテスはじめ隊員たちは大喜びした。
彼らの献上品はこれだけではなかった。何と二十人の若い女がさし出されたのだ。これが何を意味するかは明らかだった。コルテスはこれらの貢ぎ物を喜んで受けとった。
コルテスはカシケらに言った。
「明日は棕櫚の主の日(復活祭の前の日曜日)だ。頂戴した娘ごらには洗礼を受けてもらって、主のしもべとなってもらう。ご異存はあるまいな」
カシケらは、どうせくれてやるものであるから、どうぞごかってにという気楽さでこっくりした。コルテスはつづけて言った。
「先に我々の仲間がこの地にやってきたおりには、おぬしらは戦闘もしかけず物の交換なども行ったというのに、このたびはどうして我々に手向かうようなことをしたのか」
タバスコのカシケが答えて言うには、自分たちの面目回復のためだという。先の遠征隊がタバスコに到来する前にたち寄ったチャンポトンという町の住民は、ひるむことなく遠征隊と一戦をまじえてこれを敗走させたのに、タバスコの住民は、同遠征隊と物の交換まで行ってそのまま帰らせてしまった。その弱腰が周辺の町々の嘲笑の的となって、それが無念で今回は歯向かったというのである。
コルテスは、もう一つの、そしてこれこそがもっとも聞き出したかったことなのだが、その質問を彼らに投げかけた。
「ところで、おぬしらが我々への贈り物とされたあの金細工の品々はどこから手にいれたのかの」
彼らは西の方角を指さして、しきりに「クルア、クルア」だとか「メシカ、メシカ」とかくり返した。クルアというのかメシカというのか、いずれにせよそれは、太陽の沈む方角にある土地の名前であるらしかった。その土地についてコルテスはくわしく聞き出そうとしたが、彼らもその土地についてはほとんど何も知らなかった。コルテスはちょっとがっかりしたような表情をうかべながらも、
「まあよい。今日はおぬしらのつらい立場などについてもいろいろと話してもらったおかけで、これまでの疑念が晴れた。つづきは、また明日話すといたそう」
と言って腰をあげ、挨拶がわりにカシケら一人一人と肩を抱き合った。
翌日の主役は、貢ぎ物としてさし出されてきた、まだ十代とおぼしき二十人のうら若い乙女たちだった。彼女らに洗礼をさずけようというのである。
そこいらの石灰をかき集めて急造された白い祭壇には、木の十字架と聖母像とが安置されている。カシケたちが見まもるなか、我々は祭壇の前にぬかずいてミサを捧げた。オルメドという名の神父が、ひじょうな美声でパードレ・ヌエストロ(父の祈り)を唱えた。それが済むと神父は乙女たちを呼び寄せた。神父はわたしを介して彼女らに対し、おまえたちの神殿に祀られている偶像は神ではなく悪魔であるとか、生贄は断じて許されるべき行為ではないとか、この世には唯一の神ヘスース・クリストがあるのみなりとか、よって人はみな主クリストを信ぜねばならぬだとかの、この地の者らにはいつも言ってきかせる恒例の長説教をたれた。そしていよいよ洗礼の儀式となった。
わたしがまず、彼女たち一人一人に名をたずねる。すると、コルテスがその名の響きによく似たエスパーニャ人名を彼女ら一人一人に与える。その一人一人に対して神父が洗礼をさずけるのだ。
その女たちのなかで、ただ一人だけ毅然として、怖れげもなくあたりを見まわしている者がいた。おまけにたいそうな美人だった。この娘に与えられた洗礼名はマリーナというものだった。
この地で最初のクリスト教徒にされたこの二十人の娘たちは、コルテスの差配によって隊の将校たちにわけ与えられた。美貌のマリーナは、コルテスの親友で学道にもひいでたブェルトカレーロのものになった。
この娘らをともなって、我々がタバスコの町をひきはらい、海に出たのは四月十八日の早朝、乾季もそろそろ明けようとしているころだった。ゆく先は、最終目的地であるサン・ファン・デ・ウルアというところだった。
大海原を西へ、水にただよう木の葉のごとく船団は進む。そう、十一隻の中大型帆船と一艘の小型帆船からなる堂々たる船団といったって、この大海にあっては木の葉のちっぽけなひと群れにすぎない。
船べりでチャンが言う。
「タバスコの娘たちが受けていたあの儀式は何というんだ」
わたしは答える。
「うん、あれは洗礼といってな、クリスト教徒になる者はみな受けるならわしになっている。そしてな、主のしもべとして生まれ変わることを証すために新たな名前もさずけられる」
「じゃああれか、あの娘たちは自分では知らずに、そのクリスト教徒とかにされてしまったのか」
「まあ、そういうことだ」
「いつもながらの自分勝手というやつだな。自分たちの信ずる神だけが正しくて、そのほかの神々はこれすべて邪神なのだ。そんな邪神を信ずる者の意思など、犬にでも食われろってわけだ」
わたしはつらくなって、視線を陸にうつした。と、あることにふと気づいた。どこまでもたいらかに樹林でおおわれて、単調そのものだったはずの陸のたたずまいが、どこか変わってきているのだ。まず陸に起伏がある。川も増えてる。彼方のほうをようく見てみると、なんとこれまでは決して見ることのなかった山までが望見できるではないか。それらの山々のあるものはひじょうに高く、白い雪までいただいている。チャンが言った。
「おい、あのずっと向こうに見えるあの高いものは、もしかすると山ではないのか?」
わたしはうなずく。
「そうか、あれが山なのか」
そう言って、チャンは飽かず白雪をいただく山並みをながめた。
彼は山というものを生まれて初めて目にしたのだ。彼の生まれ育ったユカタンという土地には山がない。長いたんこぶのように盛り上がった丘陵地帯が一カ所だけあるというが、とても山と呼べるしろものではない。ましてや雪をいただく高山などというのは、ユカタンの住民には想像することすらできないであろう。山という言葉はあるにはあるが、その実物を目にすることは彼らには決してかなわないのである。
「おまえさんと一緒に来て本当によかった。あの山にはきっと神がおられるにちがいない。これからはその神がわしらを見まもってくださる」
とチャンが言った。
しょの8
船団が、サン・ファン・デ・ウルアに到着したのは四月二十一日の昼頃だった。そこは沿岸の小さな島で、大きな船でも入港できるだけの充分な水深があった。先の遠征隊が発見したもので、見つけた日がたまたまサン・ファン(洗礼者ヨハネ)の祝日であったので、こう呼ばれるようになったという。その遠征隊はこの島にいたる少し前に陸に偵察隊を出していたのだが、そのとき、土地の者から一万五千ペソ相当の純度の低い金を入手していた。
サン・ファン・デ・ウルアのウルアというのは本来はクルアで、このあたり一帯を支配する有力部族の名前、ないしはその部族が本拠とする国をさす言葉であるらしい。クルアといえば思い起こすのが、タバスコの町でカシケらに金細工の入手先をたずねたおりのことである。彼らは西のほうを指さして、しきりに「クルア」とか「メシカ」とかくり返したものである。そのクルアというのがまさに、サン・ファン・デ・ウルアのウルア(クルア)なのだ。
それではメシカとは何なのか。その答は、タバスコから連れてきた二十人の女たちの一人が出した。その女とは、ブェルトカレーロのものになったあの美貌のマリーナである。彼女によるとメシカというのは、ずっと遠くに白雪をいただいてい並ぶ山嶺の向こう側にある強大な国をさす言葉で、以前にはクルア、さらにそのずっと前にはアステカと呼ばれていたという。つまり、メシカもクルアも同じ国をさす言葉らしい。彼女は、そのメシカの領土であるバイナラという町のカシケの娘として生まれたのだが、父の死後、若い男と再婚した母親にうとんじられて、まだ年端(としは)もゆかぬころ、シカランゴという町から来た老人にその身を売りとばされ、その後さらにタバスコへ行く奴隷商人に売りわたされたのだという。
このマリーナが、コルテス隊にとりかけがえのない宝であることがやがて判明した。というのは、メシカとマヤとでは使う言葉が異なっていて、サン・ファン・デ・ウルアの対岸にひろがる広大な一帯では、もっぱらメシカの言葉が話されているらしいからだ。メシカの領土で生まれ育ったマリーナはメシカの言葉が話せ、しかもタバスコの住民の言葉であるマヤ語も理解できる。そしてこのわたしがマヤ語が使える。つまり、あいだにマリーナとわたしをおくことによって、エスパーニャ人はメシカの言葉をしゃべる者とも意思を通わせることができるというわけだ。コルテスは運をも味方につけてしまったらしい。
さて、島に下船しようとその準備におわれているさなかに、誰かが大声で叫んだ。
「おーい、でっかいカヌーがこっちへやってくるぞ」
コルテスをはじめ全員が陸側の船べりに殺到した。なるほど、人を満載した大きなカヌーが二艘こちらに向かってくる。そのカヌーは我々の乗る船をめざしているようだった。我々の乗る船は船団のなかではいちばん大きく、しかも旗艦なので国王旗がかかげられている。彼らはそれを目じるしにこちらに向かってきているのだろう。
カヌーが船に漕ぎ寄せられると、乗り手のなかの頭だった者が我々に向かい何ごとか叫んだ。コルテスはわたしを呼び寄せ、あの男が何を言っているのか知りたいと言った。だが、わたしにはカヌーの男の言っている言葉がわからなかった。おそらくメシカの言葉なのであろう。わたしはマリーナに「あの男は何と言ってるんだ」とマヤ語で告げると、マリーナはこう答えた。
「司令官はどこにいる、隊長は誰だ、と言っています」
わたしはそれをエスパーニャ語になおしてコルテスにつたえた。
コルテスは大きく腕を二度三度と振りまわし、次いで人差し指で自分をさししめした。それを幾度もくり返すと、カヌーの男は納得がいったようだった。
カヌーの男はまた別なことを大声で言いたてた。マリーナはその言葉をマヤ語にかえて、わたしにこう告げた。
「我々はメシカの偉大なる王、モクテスマ様の家来の命令によってつかわされてきた者である。あなた方は何者で、何のためにここにやってきたのか。必要なものはないか。もしあれば何でもうけたまわろう」
これをそっくりエスパーニャ語にかえて、わたしはコルテスにつたえる・・・。
このように、エスパーニャとメシカの言葉を話す者どうしが話をかわすたびごとに、いちいちわたしとマリーナの通訳をことわっていたのでは、紙面のむだというものである。そこでこれからは、我々の通訳は自明のこととして、それを逐一ことわることなく、エスパーニャとメシカの言葉をしゃべる者どうしの会話を進めていくことにしよう。
コルテスが部下に命じた。
「あの者たちを甲板に招じ入れるがよい」
太い綱がカヌーに降ろされ、それをよじのぼって、乗り手のなかのおもだった者たちが船に乗り込んできた。その者らをコルテスが丁重に迎える。
船にあがった使者たちは、彼らの作法にのっとってコルテスにていねいに挨拶をした。まず、床に指をつき、その指を自分の唇にもっていったのである。あとでわかったところによると、これは、尊敬する相手や身分の高い者に対して行われる土食いと呼ばれる礼法で、メシカとその近隣で行われている古くからの礼風なのだという。
コルテスは笑みを浮かべて感謝の言葉を述べると、食べ物と葡萄酒を彼らにふるまうよう命じた。それから例のごとく安物のガラス玉類を与えることも忘れなかった。
コルテスは彼らに言った。
「お初にお目にかかる。我々は、友好と交易を求めてはるばる海を越えてやってきた。珍しい贈り物も用意してある。通訳もいるので、おたがい何でも話すことができる。だから安心して我々を迎え入れてもらいたい」
使者たちは表面上は平静をよそおってはいるものの、極度に神経質にこちらの様子をうかがっていることは、その目の動きからも読みとれた。しかし葡萄酒の杯がすすむにつれ、その警戒心もしだいにゆるんできて、「モクテスマ王の正式の使者は明後日、ここにやってくるでありましょう」と上機嫌で言いおいて、足をふらつかせながら帰っていった。
翌日、我々は小舟をくり出し、馬、犬、荷物をともなって島の対岸に上陸した。そこは砂丘がどこまでもうねうねとつづく海辺の砂漠だった。焼けつくように暑く、蚊もうようよいた。狭い船から解放された犬たちが、大はしゃぎで砂丘を走りまわった。
まず、用心のためにいちだんと高い砂丘の上に大砲がすえられ、物見がおかれた。次いで仮の祭壇で簡単なミサがあげられ、仮ごしらえの倉庫と野営のための小屋がしつらえられた。
明けて次の日、モクテスマ王からの正式の使者が二人、荷物を背負った人夫らと十人ばかりの従者をひき連れてやってきた。使者の一人はテントリトルといったが、発音しづらいので我々はテンディレと呼び慣わすことにした。もう一人の使者はピタルピトクといって、たいへんに太った男だった。
使者二人は、砂丘の一角に建てられたコルテスの小屋に招じ入れられた。二人は土食いの礼を丁寧に行い、香を焚いてコルテスとその幕僚たち、それに通訳をつとめるわたしとマリーナにふりかけた。コルテスは歓迎の言葉を述べて、二人の肩をかわるがわるに抱いた。
従者らが食べ物をさし出した。それは硫黄のようないやなにおいがした。見ると、トウモロコシでつくったパンや魚や果物に血がふりかけられていた。コルテスの顔面から血の気がひいた。彼は怒りのまなざしを使者に向けた。
「これはどういうことだ」
テンディレがおずおずして言った。
「お食べになられぬのか?」
「あたりまえだ。こんなものを食わせようというのか。おぬしは我々を愚弄しておるのか」
「いや、決してさようなことはござらぬ。今後は二度とこのようなまねはせぬゆえ、お許しくだされ」
そう言ってテンディレは、従者に命じて血まみれの食べ物をとりかたづけさせた。そしてもう一人の使者であるピタルピトクを指さして、
「これからはこのピタルピトクが、貴殿らの御意にかないそうな食べ物をいくらでもおとどけいたしますので」
と言った。
テンディレらがこのような奇態なふるまいにおよんだわけは、これからおいおいにわかってくることなのだが、ここではとりあえず、コルテスという人物がケツァルコアトルなる神の再来であるかどうかを、彼らが試したのだと理解しておいてもらいたい。わざと太らせたピタルピトクは実は生贄要員で、生贄に捧げられたあと、その太った肉を前にしてコルテスがどう振るまうのかを確かめようという魂胆があったのだ。ケツァルコアトルは血と生贄をきらう神なので、生贄の血のついた食べ物と、肥えたピタルピトクを見て、コルテスがそれを喜ばなければ、コルテスはまさしくケツァルコアトルであろうというわけだった。
コルテスは、汚れをはらうことにした。使者二人にしばらく待つように言い、祭壇を用意させるとオルメド神父にミサをあげさせた。そうして気をしずめ、気をとりなおして、使者二人と食事――まずしいものではあったがまっとうなものだった――を共にした。二人の使者は初めて口にする葡萄酒に目を白黒させたが、杯がすすむにつれたいへんに上機嫌となり、しまいには両の脚をもつれさせるほどだった。
コルテスは彼らに告げた。例のレケリミエント(通告)である。これはのちに、エスパーニャの人間がこの地に入植したり土地を占有したりするのはおのれ自身の身勝手な理由からではなく、ちゃんとした立派な理由があってのうえでのことであるというアリバイづくりのための常套手段として、コンキスタドーレスたちに悪用されることになる。ちゃんとした理由というのがそもそも身勝手なのだ。コルテスが、このときに行ったレケリミエントとはこんな調子だった。
「我々は、カルロス国王陛下というこの世でもっとも権威のある王のつかいでここにやってまいった。我々の目的は、正しい神のみ教えをこの地の者に告げ知らせることであり、また、この地の者と末ながい友好の実をむすんで、兄弟とも変わらぬ親しきつきあいをすることである。交易も行いたい。ついては、おぬしらがつかえるこの地の支配者のことについていろいろ知りたい。会ってもみたい」
酔って気を大きくしたテンディレが言った。
「おそれおおくも、我らがおつかえする王の御名はモクテスマと申しあげる。メシカの王でござる。王に会いたいとのおおせであるが、王は貴兄らのことについてはまだ何も知らされておらぬゆえ、いますぐにというのはとてもむりでござる。それよりも、我らが持参いたした特別の贈り物をご覧になられよ」
そう言うと、テンディレは従者二人に命じて大きなかごを持ってこさせた。そしてコルテスに対して「どうかお立ちあがりくだされ」と告げた。コルテスは言われるとおりにした。
テンディレが何ごとかを命じた。すると、従者二人はかごのなかからトルコ石をモザイクにした仮面をとりだして、うやうやしくではあるがいかにも唐突にコルテスの顔にそれをかぶせた。我々はびっくりしたが、もちろんいちばん驚いたのはコルテスだった。彼は仮面の裏からもぐもぐと言った。
「な、なんだ、これは!」
噴きだしたいのをこらえて、彼らに説明を求めると、従者らはただ「ケツァルコアトル、ケツァルコアトル」とくり返すばかりでその手を休めず、こんどは極彩色の鳥の羽毛で飾られた豪華な衣をコルテスに着せかけた。つづいて、蛇をかたどったヒスイの耳輪をつるし、中央に金の円盤がはめ込まれたヒスイの首飾りをかけ、いぶした黒曜石の背鏡を腰にくくりつけ、さらに現地の者には鐘つきと呼ばれているという肩かけをはおらせた。また、両足首には金の鈴のついたヒスイの数珠をむすびつけ、腕には、十字形の金製の貝殻を極彩色の羽毛で縁どった盾をかけ、ふくらはぎには、ヒスイと金の貝殻を惜しげもなく編み込んだすね当てをまきつけた。そして最後に、黒曜石のサンダルをコルテスの前に置いた。
ケツァルコアトル
(サイトThoughtCo.より引用)
モクテスマから託された贈り物はまだあって、コルテスの前の床にそれが丁寧にならべられた。神のものとおぼしき三組の装束だった。
沈黙の時間がどこか気まずい雰囲気のなかでながれた。コルテスが仮面の陰からひんやりした声で言った。
「これですべてか? ひとかどの者を歓迎し、その者と近づきになろうというのに、これのみですべてなのか?」
コルテスの仰々しくも珍妙ないでたちを目にして、テンディレの態度が一変しているのがわかった。にわかに畏れかしこみへりくだり、コルテスの言葉にはひどく怖じけづいてこう答えた。
「おお、これは何ということを申される。貴殿がいま身にまとっておられるのは我らが至高の神、ケツァルコアトルの尊き装束でござる。我がモクテスマ王は、貴殿こそはケツァルコアトルの再来であろうと存知あげておられるのです。おお、我らが神よ、どうかお怒りをおしずめくだされ。我らは貴殿に対し、至上のおもてなしをいたしたのであれば」
コルテスは仮面をはぎとり、身につけられた衣装と装身具をむしりとり、腕にかけられた盾もぽーんと放りだして大声でどなった。
「この者たちを鎖につないでしまえ!」
こうして二人の使者とその従者らは、首と足に鉄の輪をはめられて鎖につながれてしまった。
コルテスは言った。
「おまえたちの王とやらは実にけちくさいやつだ。我らをあなどっておるようだな。よろしい、おまえたちの目の前で我らの戦(いくさ)ぶりをおめにかけよう。しかとその目に焼きつけておくがいい」
コルテスは部下に命じて馬の用意をさせた。幕僚の一人であるペドロ・デ・アルバラードにひきいられて、騎馬隊は砂丘に整列した。鎖につながれた使者と従者らは、初めて目にする大きな獣におそれおののいた。コルテスはさらに、砲手に命じて大砲の準備をさせた。
騎馬隊はさっそうと砂丘を駆けだそうとしたのだが、あいにく馬の足が砂にめり込んでうまく疾走できない。コルテスはしびれをきらして、自らも馬上の人ととなると砂丘に馬を乗りいれた。彼はアルバラードに何ごとかを告げた。騎馬隊は砂丘をあとにして浜辺の波うちぎわに向かった。ちょうど潮がひきはじめていたおりだったので、騎馬隊はどうにかさまになる騎馬の駆け足を濡れた砂地に描くことができた。
こんどは大砲の番だった。コルテスが手をあげて砲手に合図を送った。すざまじい轟音があたり一帯に鳴り響き、弾丸がうなりをあげて砂丘の彼方に飛んでいった。
しょの9
使者の一人であるピタルピトクは目をまわして気を失った。従者数名も気絶した。コルテスは馬を降りると、使者と従者らの鎖をはずすように命じた。
馬を降りたコルテスは、テンディレに向かって言った。
「おぬしは即刻たち帰るがよい。そしてモクテスマとか申す王に、すぐにでも我らと会って話をするように申しつたえよ。しかるのち、王の返答をたずさえ、なるべく早くここに戻ってくるように」
こうしてテンディレと一部の従者らは国もとに帰還することになった。去りぎわ、テンディレはコルテスに言った。この男は、先ほどの騎馬隊の見せ物と大砲の衝撃からはいち早くたちなおって、いまはけろりとした顔をしている。
「あなた方が頭上にいただくぴかぴか光ったかぶり物は、我らが軍神ウイツィロポチトリがいただいておるものにそっくりでござる。我が王にそれをお見せしたいので、しばらくのあいだお貸しいだくわけにはまいりませぬか」
テンディレが言うぴかぴか光ったかぶり物とは、兵士らがかぶっている鉄兜のことである。コルテスの目が光った。
「うむ、いいだろう。ついては、ここで採れる金が我が国の金と同じものなのかどうかを知りたいので、ここに戻ってきたあかつきには、かぶり物を金でいっぱいにして返してもらいたい」
テンディレは承諾した。彼は兜を受けとると、帰りの挨拶もそこそこにたち去っていった。
あとに残されたもう一人の使者であるピタルピトクは、息を吹き返すと、このあたりの住民らに命じて、隊員らのための七面鳥や野菜、果物などを大量に持参させた。また、コルテスの小屋とそのほかの仮小屋に、日よけのための大きな布をかけさせた。
テンディレが戻ってきたのは六日後だった。メシカの高官一人と、荷物を背負った百人ほどの人夫をひき連れていた。このメシカの高官、名前はキンタルボルといったが、この男がおもしろいことにコルテスにそっくりだった。あとでわかったところによると、どうやらこれはメシカ側の陰謀らしかった。事実、キンタルボルはその後病没したとされ、これは故意に病気にかからせてコルテスを呪い殺すか、恐怖をかきたたせてこの地を退去させようとしたものであるらしいのだ。もちろん、そんな迷信に負けるようなコルテスではなかったが・・・。
コルテスは上機嫌でテンディレ一行を迎えいれた。前回にひきかえ、このたびはひじょうにたくさんの献上品がコルテスのもとにもたらされた。まず、太陽をかたどった荷車の車輪ほどに大きな純金の円盤があった。それから、さらに大きな月をかたどったきらきら輝く銀の円盤もあった。そのほか、さまざまな装身具や服飾品、動物をかたどった工芸品、弦を張った弓と矢、用途のわからない杖のような棒、鳥の羽毛で飾れれたかぶり物とかの豪華な品々があって、これらすべてに純金が使用されていた。美しい刺繍のほどこされた大量の綿布もあった。
何よりもコルテスたちを狂喜させたのは、テンディレが持ちかえった例の兜だった。そのうす汚れた安物の鉄兜には砂金がいっぱいに詰め込まれていた。これは、豊かな金鉱脈の存在をものがたるものだった。コルテスらは、それまでの疲れも吹き飛ぶような思いで、これらの黄金の山にうっとり見とれた。
かくのごとく贈り物のほうは申しぶんなかったものの、テンディレが持ち帰った王からの返事というのはコルテスを失望させた。コルテス一行がこの地に到来したことは歓迎するが、直接会って話すほどのことはなかろうというのである。
コルテスはテンディレを執拗にかきくどいて、どうかもう一度だけ国もとに戻って王への謁見を乞うてくれと頼んだ。テンディレは根まけして言った。
「わかり申した。そうまでおおせになるのであれば、あと一度だけ、貴殿の申し出を王におつたえいたそう。まあ、むだであるとは存ずるが」
こうして、テンディレとコルテスにうりふたつのキンタルボルとはメシカに向けて旅だった。
このあと、どうした風の吹きまわしか、我々に対する食糧の供給がとどこおるようになった。その任を負わされているはずのピタルピトクが、すっかりやる気をなくしてしまったのである。おかげで我々は深刻な食糧不足におちいった。しかたがないので、黴の生えた虫食いだらけのカサーベパンをむりやり口に押し込んだり、砂浜で貝をひろったり、小舟を出して魚を釣ったりなどしてどうにか飢えをしのいだ。
そんなさなかにも、コルテスは船を出して海岸づたいに北上させ、沿岸の様子を探らせたりしていたが、十レグア(約五十五キロメートル)ほど先にキアウィットランという要塞のような町が見えたのと、その町の近くの海岸に船を停められそうな場所があったということ以外、はかばかしい成果はあがらなかった。日は無為に一日、二日とたっていく。
ある奇妙に静かな夕凪のひととき、わたしとチャンとマリーナとは海辺でこんな会話をかわした。
「マリーナ、あんたは負け戦(いくさ)の代償にさしだされた貢ぎ物として、このわしは自分かってな意志によって、わしらの同胞を何人も殺したあの異邦人たちと行を共にしている。そんなわしらは共に、同胞に仇なす裏切り者だ。そうじゃないかね」
マリーナは答えなかった。気丈そうな顔に苦渋の色がさっとさす。わたしはそっとチャンの肩をたたいた。裏切り者は、すぐ隣にももう一人いるのだ。わたしはつらくなって話題をかえた。
「マリーナ、コルテス殿がモクテスマの使者たちと初めて会ったときに、何とも珍奇な扮装をさせられたのをおぼえているだろう」
「ええ、忘れるものですか」
「わたしは思わず噴きだすところだったよ」
「とんでもないことだわ。あれはね、ケツァルコアトルというこのあたりではいちばん偉い神様の姿かたちを真似たものなの。その神はマヤ人のあいだではククルカンと呼ばれているわ」
「えっ、するとククルカンってのはそのケツァルコアトルとかいう神と同じ神様なのか?」
と、チャンがすっとんきょうな声をあげた。マリーナは静かにうなずいた。
「わたしはテンディレにそっと聞いてみたの、何だってあなたはコルテス殿にあんなかっこうをさせたの、って」
マリーナの声は決してきれいではないが、不快さはなく、またよく通る。二人がかりで通訳をしていてわかったことであるが、この娘はとても明敏で、機転もよくはたらく。
「テンディレはこう言ったの。彼らの王であるモクテスマ殿下は、コルテス殿をケツァルコアトルの再来だと信じ込んでいるのだって」
そういえば、コルテスが怒ってあの扮装をかなぐり捨てたあと、テンディレがそのような名前を言っていたのをわたしは思いだした。
「それで、その神の衣装をコルテス殿に着せたってわけか」
とチャンが言う。わたしは彼女にたずねた。
「それならばなぜ、モクテスマはコルテス殿に会うことにのり気ではないのだ。偉大なる神が自らやってきて会ってやろうと言っているのに」
「確かにそうだ、なぜモクテスマ王は神様に会いたがらない?」
「そこまではわたしにもよくわからない」
そう言って、マリーナは軽いため息をついた。チャンがふと思いついたように言った。
「ところで、あんたを手にいれたあの何とかいう異人は、あんたを大事にしてくれているのかい」
「ああ、ブェルトカレーロのことね。変な話だけれど、彼はわたしには指いっぽん触れようとはしないのよ」
異邦の言葉にもすぐに順応する特別の才能をもった彼女は、ブェルトカレーロなどという舌をかみそうな言葉もなんなく発音した。わたしとチャンは彼女の次の言葉を待つ。
「彼はね、女には興味がないのよ。あのひとはコルテス殿が好きなの」
チャンが言う。
「ふーん、そうか。男が好きなんだな。そういうやつはわしらの世間にも少なからずいるがな。とくに神官がそうだ。少年とか若い男の生贄を犯してから神に捧げるのだ」
コルテスが両刀づかいだとしても、わたしは別段驚かない。そういう人間は格別めずらしくはないのだ。偉丈夫な男ほど、そういう性行があるということも知っている。
「それじゃその、あんたはまだ処女のままなのか?」
と、チャン。
「はは、そんなわけあるはずがないじゃないの。わたしは奴隷としてタバスコに売られてきたのよ。その前はシカランゴにいて、けがらわしい爺いの持ち物となっていたわ。男なら何人も知ってるわよ。わたしは、自分の父親をのぞいてだけど、この地の人間がきらいよ。母親も軽蔑してるわ」
彼女が急に大人びて見えた。まだ十七歳だと言うが、すでに成熟した女の風情がそっとただよう。わたしはハラルのことを想った。マリーナのほうが彼女よりも体格がいいが、目鼻だちには似かよったところがある。しかし、この二人の女の共通点はその容貌までで、その精神的な内面には大きなへだたりが存在する。あまりにも対照的な両人の運命のあり方が、両人の精神の風景をずっと異なるものにしてしまったのだろう。
すっかり暗くなって、うるさく鳴いていた海鳥も巣へ帰っていった。夕餉(ゆうげ)を知らせるフライパンをたたく音が聞こえる。それでもなお、わたしたちはしばらくは海辺にとどまり、海風に頬をなぶらせていた。
しょの10
テンディレが大勢の供まわりをひき連れて、大量の金細工やこの地では黄金以上に価値のあるとされるヒスイ、それに美しい刺繍がほどこされた布地などをみやげに戻ってきたのは十日ほどしてだった。コルテスにうりふたつのキンタルボルは同行していなかった。テンディレがしてやったりといったような顔つきで言うことには、彼は病気で死んだのだという。
モクテスマの返事としてテンディレがもたらしたものは、あいも変わらぬ婉曲な拒絶の言葉だった。テンディレは、王との会見についてはもう二度と口にされるなとまで言った。
さすがにコルテスもがっかりして、モクテスマには何としてでも会ってみたいと、かさねてテンディレにねだる気力も失せたようだった。それでもコルテスはやっぱりコルテスで、
「モクテスマというのは、我々が思っている以上にでっかい富と権勢を持っておるにちがいないぞ。こうなったら、こっちから押しかけてってやろうじゃないか」
と、その場にいあわせた者たちに言いはなったのである。一同は思い合わせたように西の方(かた)、熱帯樹林の彼方に峨々とそびえたつ山の嶺に目をやった。モクテスマのいるメシカは、その白雪をいただく山々のはるか向こうにあるのだ。
モクテスマの使者としてこれまでに二度もメシカとのあいだを往復しているテンディレは、コルテスからの心ばかりの贈り物をたずさえてメシカに帰ることになった。好奇心旺盛で、剛胆なところもちらりほの見えるこのどこか憎めない男を、我々はいつのまにか好きになっていた。テンディレのほうも、これでお役はごめんという解放感にひたりながらも、我々のいだいているそういう気持は察しているようで、にわかには去りがたいような風情をたたえて、幾度も幾度もふり返っては土食いの儀礼をくり返し、ごくゆっくりとした足どりで帰っていった。
一方、すっかりやる気を失って、あるいはそのふりをして(こちらのほうが本当らしいのだが)、我々のために食糧を調達するというおのれの役目をすっかり放擲していたピタルピトクは、テンディレが去った翌日、彼のあとを追うかのようにその姿をくらましてしまった。
我々のおかれている状況はひじょうにきびしいものになった。まず、気候がひどい。むせかえるような暑さである。それに蚊もうようよいる。さらにいけないのは、黴と虫食いだらけのカサーベパンですら底をつきはじめ、食糧の備蓄がほとんどなくなったことである。貝ひろいや魚釣りなどで糊口(ここう)をしのぎ、たまに姿を見せる住民から魚やトウモロコシのパンなどを分けてもらい、砂浜乞食さながらの日々を送るはめとはなった。
こうした問題のほかに、コルテスはもう一つやっかいな事情をかかえていた。これまでにいろいろ聞き知ったところによると、この遠征隊の隊長に彼を任命したのはクーバ総督であるディエゴ・ベラスケスという男なのだが、ベラスケスはどこか肚のうちのよめないコルテスを完全に信頼しているわけではなく、それどころかコルテス一行がクーバの港を発ったあと、急に不安にかられて、ただちに探検を延期して戻ってくるよう命令を発したのだという。
ディエゴ・ベラスケス
(サイトsantiago de cuba city .orgより引用)
だが、コルテスはその命令を無視して探検を継続してしまったのだ。隊の幹部のなかにはベラスケスの息のかかった者も多数いて、隊の上層部はいまや、ベラスケス派とコルテス派の二つに分断されているのがこのわたしにもよくわかった。
そのベラスケス派がコルテスに対してこうごねだした。
「食べる物もろくにないこんなひどい状態で、これ以上ここにいすわる理由がどこにあるというのだ。あの遠い山嶺の向こうからこのあたり一帯にまで勢力を伸ばしているメシカという国はたいへんな強国のようだ。それはこのあたりのおどおどした住民らを見てもわかる。また、三度にもわたってやってきた使者らが献上していったたいそう豪華な宝物を見ても明らかだ。メシカのモクテスマとかいう王がその気になってここに攻め込んでくれば、ほんのわずかな兵力しかない我々は簡単にうち負かされてしまうだろう。ここはいったんクーバへひきあげて、ベラスケス殿の意向をうかがってみるのが筋なのではないか」
わたしに言わせればこれはもっともな意見である。クーバに行くことさえできれば、わたしはクーバから出る船に乗ってエスパーニャに帰ることもできる。
これに対し、コルテスは毅然とした態度をとった。
「何を言われる。戻るのはまだ早い。もう少しがんばってみようではないか。我々はタバスコで数千もの軍勢にもうち勝ったのだ。もっと自信をもたれるがよい。食糧のほうは何とでもなる。このあたりの住民から交換で分けてもらえばいいし、いよいよとなれば力ずくにうったえてでも手にいれる」
コルテスのこの気勢に押されて、ベラスケス派の面々はぶつぶつ言いながらも、とりあえずはおとなしくひきさがった。わたしのむしのいい希望もあっさり水泡に帰した。しかし、コルテスは何らかの手をうつ必要に迫られていた。
そんなある日、テンディレらメシカの者たちとは、着ているものも話す言葉も大いに異なる五人の男たちが我々のところにやってきた。穴を開けた下唇に緑色の石の円板をつるした者もいれば、紙のごとくに薄い黄金板を耳につるす者もいる。彼らはコルテスの前に出ると丁重に挨拶し、口々に「ロペルシオ、ロペルシオ」と言った。
このロペルシオという言葉がマリーナにはわからなかった。彼らの話す言葉をよく聞いてみると、メシカの言葉とはかなり異なっているようだった。マリーナはメシカ語で彼らにたずねた。
「メシカの言葉のわかるひとはいないの?」
すると、なかの二人がわかると答えた。さっそく二人はメシカ語で我々を大いに歓迎する旨を述べ、次いでこう言った。
「わたしどもは、北の方(かた)、センポアラと申す都よりやってまいりました。あなた方がタバスコ軍をうちやぶったことは、このあたり一帯にも鳴りひびいております。わたしどもの領主様は、あなた方のような勇敢な方々とおちかづきになりたいと願っておいでです。メシカの使いの者の言うことなど信じてはなりません。そやつらが何度もあなた方のところにやってきていたのでお目通りしようにもそれができず、ご挨拶が遅れてしまったことをここにおわびいたします」
彼らからいろいろ聞きだしたところによると、センポアラというのはトトナカという部族が拠点としている都で、メシカよりも古い歴史をもっているのだという。しかし、武力に秀でたメシカには抗すすべがなく、しかたなしにその支配下に甘んじているという。メシカの圧制に苦しみ、法外な貢納を課せられて、領主は毎日泣き暮らしているのだという。
コルテスの目が光ったのをわたしは見のがさなかった。その目には光明が点じていた。彼は晴れやかな笑顔を浮かべて、使者たちにねぎらいの言葉を投げかけ、ガラス玉を贈り物としてさずけながらこう言った。
「もう少ししたら我々のほうからおぬしらの都へまいり、領主殿にもお目みえしてともども話をかわし、つもる相談にものるつもりである。そのように領主殿におつたえするがよい」
この言葉をみやげに、使者たちは喜びいさんで帰っていった。
コルテスの表情が明るくなった理由は、おそらくこういうことであろう。
ひどい気候と食糧不足、それにベラスケス派の不満といった問題をかかえて、コルテスはいま、八方ふさがりの状態である。そこへメシカに深い恨みをもつセンポアラの領主からの使者がふってわいたように出現した。これは、メシカの支配下にある諸部族が決して一枚岩ではなく、なかにはセンポアラのようにメシカに対して激しい恨みをいだいている者もあるということである。メシカをめざすというコルテスの野望は、このとき、より強固な意志として彼のうちに定着したにちがいない。それに、センポアラ救援という目標をかかげることで、ばらばらとなりつつある隊の秩序も再統制できるかもしれない。
しかし、コルテスという男は、わたしが思っているよりもさらにしたたかだった。彼はこれから述べるような大きな芝居をうったのである。
しょの11
芝居の第一段階は、有り金をはたき、大事な物を売りはらい、借金までこさえてこの遠征に参加している兵士らを、このまま遠征をつづさせるようにし向けることだった。これについては、マリーナの持ち主であるブェルトカレーロがうまい案を出した。
彼によれば話は簡単だという。もし仮にいまクーバにひきあげてしまえば、これまでに手にいれた財宝の大半はベラスケスとその追従者らにとりあげられ、兵士たちの手にはほとんど何も残らない。それだったら、このまま遠征をつづけて、どこかしかるべきところに入植したほうが兵士らにとってはよっぽどためになる。コルテスに対して陛下からの正式な勅許さえおりれば、入植の正当な権利だって与えられる。残念ながらコルテスにはまだその勅許はおりていないが、とりあえずは彼に陛下の代理となってもらって、彼自らが彼自身をこの隊の総司令官の地位に任命して、その正式な任官のご下命をたまわるべく陛下のもとへは使いの船を出すことにする――このように兵士らに話をもちかければ、反対する者などおそらくはおるまいというわけである。
コルテス派の幹部たち――ブェルトカレーロ、ペドロ・デ・アルバラード、クリストバル・デ・オリード、アロンソ・デ・アビラ、ファン・デ・エスカランテ、フランシスコ・デ・ルーホらは分担して兵士の一人一人を夜ごと訪れ、ブェルトカレーロの献じた筋書きを耳もとでささやいて回った。
兵士たちのほとんどは、彼らの提案を受けいれた。兵士らの大半は農夫や職人、下級の郷士や商人の子弟らで、本国ではうだつがあがらず、インディアスでひと旗あげようと意気ごんでやってきた者たちばかりであったから、こういう口説き文句にはすこぶる弱かったのである。ベラスケス派に対するきりくずし作戦はこうしてひそかに、そして着々と進められていった。
この裏工作はやがて、ベラスケス派幹部の知るところとなった。多くの兵士たちとは異なり、クーバに土地と家をもつ彼らは、いきどおってコルテスにこうつめ寄った。
「姑息な策をこそこそと弄するのはやめにしてもらいたい。貴公はしょせん、ベラスケス殿の代理人としてこの遠征を指揮しているにすぎない。それなのに、自分を司令官にしたてあげてまでここに居残ろうというのか。いいかげんにしてもらいたい。我々はベラスケス殿のかねてからの指示どおり、いますぐクーバにひき返すべきである。肚のうちのよめないおぬしと一蓮托生になるなんてまっぴらだ」
コルテスは少しもあわてず答えた。
「お話はごもっともである。わたしとしてもベラスケス殿の意向にさからうつもりは毛頭ない。これまでに献上物として手にいれた財宝はもとより、隊員たちが物々交換で手にした金銀も没収してさっそくここをひきはらい、クーバに戻るとしよう」
ときをうつさずコルテスは、この旨を命令として隊員たちにつたえた。ところが、腹の虫がおさまらないのがくだんの話にのっていた兵士たちである。彼らはコルテスのもとにやってきて口々にこう述べたてた。
「コルテス殿。あなたは我々を裏切ろうというのか。あなたを司令官にさせる代わりにこの地に入植しようともちかけたのは、あなたのお仲間ではないか。それなのにいまになって、その言をひるがえそうというのか。どうせベラスケスの懐に入ってしまうような金銀集めにうつつをぬかすことより、この地に入植をはたさんとすることこそが陛下への真のご奉公になるのは自明の理ではないか。帰りたい者はさっさと帰ればよい。我々は何がなんでもこの地に居残るつもりですぞ」
コルテスは困ったような顔をして、しおらしく「わたしはどうしらいいのだ」と言った。兵士たちは「そんな弱気でどうするんです」と口々に叫んだ。コルテスは言った。
「わかった。ひと晩ゆっくり考えさてくれ。明日、はっきりした答をだそう」
兵士らはかわるがわるコルテスの肩をたたいて、「よろしくお頼み申しますぞ」と口々に言ってコルテスの幕舎を去っていった。
大芝居のしあげは翌日だった。コルテスは隊の全員を集めてこう言った。
「兵士諸君の入植への熱い思いに、わたしの心は抗することができなかった。ベラスケス殿にはすまないが、ここはもう少しふんばってこの地にとどまることにしたい。国王陛下もそれをお望みであろう」
兵士たちから歓声があがった。ベラスケス派の面々は顔をしかめていたが、兵士らの殺気だった熱気に押され、何も口だしできなかった。
コルテスは言葉をついだ。
「だが、兵士諸君の意向を受けいれるにあたってはいくつかの条件がある。この条件が満たされないならば、即刻わたしはここをたち去るつもりである」
コルテスは言葉をきってみなを見まわした。しんと静まるなかで兵士の一人が「何なんだ、その条件というのは」と叫んだ。
「うむ、それはな、まず第一に、このわたしをこの隊の正式の司令官に任命することだ。あわせて法の最高責任者となることも要求する。第二に、今後手に入る金のうちの五分の一は陛下のとり分、またその残りの五分の一はこの司令官たるコルテスのとり分とすべきことを承認することだ」
隊員たちはざわつきだした。コルテスが陛下のとり分の残りの五分の一を自分のとり分とするという話は、コルテス派幹部の者たちですら初めて耳にすることだったにちがいない。コルテスの術中になしくずしにはまっていってしまうというふがいない思いが、喉に突きささった小骨のように隊員たちの心をちくちく刺しているのがわかる。だが、それでも表だって反対をとなえる者は出てこなかった。
兵士たちにしてみれば、ここでコルテスにクーバに帰られてしまったのでは元も子もなくなる。結局のところ、ここに踏みとどまってもらって自分たちの指揮をとらせるためには、その報酬としての金五分の一はあきらめるほかはないというごく弱気な選択しか、彼らにはもはや残されていなかったのだ。コルテスの大ばくちはまんまと成功したのである。
コルテスは声をはりあげて言った。
「異存はないようだな。それではわたしは晴れて諸君の隊長としての任務をまっとうすることにする。ついては、わたしに与えられるべき権利と権限は公のものとして承認される必要があるので、公証人のもとでそれを明文化しておきたい」
どこまでもぬかりのないコルテスは、さっそく隊に随行している書記のディエゴ・デ・ゴドイを公証人として、その手続きをさっさとすませてしまった。隊員たちは、催眠術にでもかけられたように、その光景を呆然とながめていた。
入植が本決まりになった以上、我々はその拠点となるべき町をつくる必要があった。さっそく市会議員と判事が選出された。市会の議長にはコルテスの腹心のブェルトカレーロおよび、ベラスケス派に近いフランシスコ・デ・モンテホの二名が選ばれたが、後者の選出についてはベラスケス派の顔をたてようとするコルテスのさしがねがきいていたにちがいない。ただし、市会議員のほうはコルテスの息のかかった者たちでかためられた。議員の一人には、何とこのわたしも選ばれた。さっそく市会が開かれて、正式にコルテスを総司令官兼主席判事に任命した。
新しい町が建造されるにあたって、まずつくられるのは祭壇と晒し場と絞首台である。何よりも神と法が優先されるのだ。町の名はビリャ・リカ・デ・ラ・ベラ・クルス(真の十字架の富める町)とつけられたが、ながったらしいので今後は単にベラクルスと呼ぶことにしよう。
ベラクルス(手前)とサン・フアン・デ・ウルア。1610年頃の光景。
wikipediaより引用
このようにあれよあれよと進んでゆくことの成りゆきを見て、ベラスケス派の面々は怒り心頭に発し、コルテスのもとへやってきて、コルテスの息のかかった市会で決められた人事も、またそこで決められた町の名前なども断じて認めることはできない、コルテスを総司令官にいただくなんてもってほか、とんでもないことだ、ふざけてはいけない、おまえは何様のつもりなんだ、とにかくいますぐクーバへ帰ることを要求する、とたいへんな剣幕でまくしたてた。
コルテスは静かに言った。
「クーバへでもどこへでもどうぞお帰りくだされ。わたしはひきとめはしない。帰りたいという希望をもつ者には、喜んでそれを許可するつもりなのでな」
いまさら自分たちだけで、ましてや手ぶらで逃げ帰るなんてことはとてもできる相談ではない。兵士たちにつるし上げをくらうおそれもある。ベラスケス派の大半は鳴りをひそめてしまった。しかし、なかにはどうにも腹の虫のおさまらぬ者もいて、そのうち彼らはコルテスの言うことにまったく従わなくなってしまった。反逆者のなかには、ベラスケスと縁つづきのベラスケス・デ・レオンや、ベラスケス家の家令長のディエゴ・デ・オルダスなどもいた。ことここにいたってコルテスは強行手段にでた。彼らを捕縛して鎖につないでしまったのである。
しょの12
砂丘に仮小屋と祭壇、晒し場、絞首台がぽつんぽつんと建っているだけだが、市会議員や判事、その他の役員たちも選任されて、町の体裁だけは何とかつくろえられた。
食糧不足のほうも、奥地に派遣された行軍隊長のアルバラードとその部下たちが、逃走したあとの無人の村に置きざりにされていたトウモロコシや七面鳥、野菜類などを持ち帰って急場をしのぐことができた。
諸事がこのように好転してきているなかで、コルテスにとって頭のいたいのは、いまだに膠着状態にあるベラスケス派との確執だった。しかし、彼はこれもどうにかきりぬけてしまった。ベラスケス派の誰かれとも親しく接して、食事を共にしたり、とても見込みのありそうな約束をとりかわしたり、悩みの相談にのるなどして巧妙にとりいった。彼にさからって鎖につながれた者たちに対しては、より手っとり早い解決手段――金の亡者には金を与えよ――をとった。彼らはコルテスに与えられた金に平伏し、これからはコルテスの命令には必ず従うと約束した。こうして彼はベラスケス派のほとんどを手なずけてしまった。
わたしは、これまでのコルテスの一連の手なみにただただ感心するばかりだった。チャンもびっくりしていた。これほどの軍略、知略、そして人をたらし込むすべにたけた男をわたしは見たことがない。この男と行を共にすることをわたしは喜ぶべきなのか、それとも、そのなみはずれた狡猾さと貪欲さに対して警戒の念をいだくべきなのか・・・。
コルテスはある決断をくだした。先に偵察にやった船が見つけたという、ここから十レグア(約五十五キロメートル)ほど北にあるキアウィットランという要塞のような町に移動しようというのだ。新しい町の創設されたこの砂丘には、もうひと月ちかくも駐留している。そろそろ次の目標に向けた行動が必要なときだった。雨季も近い。
陣営をたたんで我々はベラクルスを発ち、陸路を海岸ぞいに北上した。船員を乗せた船団も我々と並行して海上を進んだ。
ゆく先々には村があった。しかし住民の姿はなかった。我々がやってくるのを見て逃げだしてしまったのであろう。村々には大小の神殿ピラミッドがあったが、そのうちの一つはかなり大きなものだった。それは血塗られていた。裾の石畳の血だまりに四肢を失った生贄の胴体がころがり、そこから基壇頂きの神殿に通ずる石段も朱に染まっていた。
我々は石段をあがった。神殿の前には生贄を殺すための石の台があり、あたりは血潮にまみれていた。生贄はこの台で心臓をえぐりとられたあと、石段へころげ落とされたのであろう。その心臓は、不気味な神像を祀った神殿の祭壇に供えられていた。まだ真新しかった。隊員たちは声もなく立ちつくした。チャンがわたしにこっそり言った。
「生贄の手足は食べるために持ちさられたのだ」
住民が逃げさったあとの村々には、食べられるようなものは何も残っていなかった。しかたがないので海辺をあとにして西へ、内陸側へと進路を変えた。船団のほうはそのままキアウィットランに向かい、向こうで我々を待つことになった。
高い砂丘を大汗をかいて越えると、いきなり美しいサバンナ(草原)が姿を現した。鹿が数頭、のんきそうに草を食んでいる。馬にまたがったアルバラードがいちばん大きな鹿を追いかけ、思いきり槍を投げつけたのだが見事にそれてしまった。隊員たちのあいだから揶揄の声が飛んだ。アルバラードはきまりわるげにすごすごとひき返してきた。
暑かった。サバンナの向こうには椰子やバナナの木の生い茂った樹林がある。その木陰でひと休みしようと歩きだしたとき、樹林のなかから十二人の男たちが出てくるのが見えた。彼らはこちらに向かってやってくる。我々は足をとめて彼らを待った。
我々の前までくると、彼らは手にしたトウモロコシのパンや七面鳥をさしだしてこう言った。
「これはわたしどもの領主様からの贈り物です。どうぞお受けとりください。わたしどもは、あなた方がすでに通りすぎてこられた村に住まいする者ですが、あなた方が恐ろしくていったんは逃げだしてしまいました。しかし、センポアラの領主様から言いふくめられて、あなた方をお迎えにあがったしだいです」
コルテスが聞いた。
「おぬしらは、センポアラの住民とは親しいのかね」
「はい、ここら一帯はセンポアラが治めております」
「センポアラはここから近いのかね」
「はい、太陽が一つのところにあります」
わたしと共に通訳にあたっているマリーナが言った。
「太陽が一つというのは一日の行程という意味です」
コルテスはまた彼らにたずねた。
「我々はキアウィットランをめざしておるところなのだが、そこへはどうやって行けばいいのだろう」
「キアウィットランへはセンポアラを通っていきます」
コルテスは、誰にともなくつぶやくように言った。
「ふむ、センポアラは途中にあるというのだな。センポアラといえば、そこの領主殿の使いの者がベラクルスへやってきて、メシカの横暴をさんざん嘆いておったものだが。ふむ、そうだ、我々はまずセンポアラに行ってみるべきだな」
いまからセンポアラへ向かうには時間が遅すぎたので、我々はすぐ近くの村で一夜を明かすことにした。センポアラの使者たちの世話で、その夜は久方ぶりのまっとうな食事にありつくことができた。
翌朝、使者のうちの六人を伝令として先だたせ、残りの六人を道案内にたてて、我々はセンポアラをめざした。なかば期待し、なかばは警戒を忘れず、我々は足を速めた。ゆくてに大きな町が見えてきたのはその日の午後遅くだった。道案内の者が、あれがセンポアラですと告げた。
町の入口では、二十人ばかりの男たちが花束を捧げて、我々一行を待ちうけていた。彼らはその花束を馬上のコルテスやアルバラードらにさしだした。馬を見てもさほど驚かないところをみると、ベラクルスから戻った使者たちの報告で馬の知識をしいれているのであろう。
彼らのなかの頭だった者が言うことには、ここの領主様はたいへんに太っていて身動きすらも満足にかなわないのだという。それで迎えにあがることはできないが、どうか気をわるくされないようにとのことだった。
わたしたちは迎えの者たちに先導されて町に入った。すばらしい景観が眼前にひろがった。規模ではチェトゥマルにはおよばないものの、その美しさはチェトゥマルに充分匹敵した。そこかしこに手入れのゆきとどいた草花や花木が植えられ、町はあたかも花園に浮かぶかのようだった。ベラクルスの殺伐とした風景になじんでいたわたしたちは、まるで別世界に飛び込んだような衝撃を受けた。
センポアラの遺跡
(サイト「マヤ遺跡探訪」より引用)
住民もたくさんいた。通りは我々を見ようとするその住民たちであふれかえっていた。多少の不安をかかえつつも我々は町の広場へと向かった。
広場に達する直前、偵察に行っていた兵士二人が息せききって戻ってきて、興奮しきった口調でコルテスにこう報告した。
「隊長、ここの神殿や館はみな銀でできておりますぞ!」
コルテスも隊員らもぎょっとした顔をした。わたしはにやりとして言った。
「はは、あれは銀じゃありませんよ。漆喰です。たぶん、我々を歓迎しようと新しく塗りなおしたのでしょう。それで真っ白なんだ」
変な間があって、それから一同はどっと笑いくずれた。コルテスまでが涙を流して笑った。欲につかれた者たちの、つかの間のはかない哄笑のうたげ・・・。
我々は広場に入った。すばらしく巨大な神殿ピラミッドとそれに付帯する倉庫などの建物、領主や貴族、神官たちの住む石造の館などがいくつも建ちならんで、どれもが白く輝いていた。なるほど、欲にかられた者の眼には銀と見えるのかもしれない。神殿の斜め背後には、広壮な球戯場がその一角を見せている。
広場には物見だかい群集がつどっていた。女たちの着ている衣装が、これまでに目にしてきたどこの町のそれよりもあでやかだった。あとで知ったところによると、センポアラというところは着道楽で鳴りひびいた土地柄なのだという。
領主の館の前にも大勢の出迎えがいた。わたしたちは彼らをかき分けるようにして領主の待つ大広間に入った。そこは我々全員が入ってもまだ余裕があるほどだった。
彼は確かに太っていた。そして上背もあった。ようするに大男なのである。高官に腕を支えられ、よたよたと歩みでて我々を出迎えた。コルテスが進みでると、領主は手にした香を彼にふりかけた。コルテスは領主の肩を抱いた。
歓迎のうたげがはられ、豪華な食事が出された。若い女たちが地酒をついでまわる。遠征に出て以来、隊員たちはこれほど豪勢な料理を目にしたことがなかった。警戒の念もふきとんで、彼らは飢えた狼のごとくご馳走にむしゃぶりついた。サン・ファン・デ・ウルアの対岸の砂浜で、貝をひろって歩いたのが夢のようだった。
食事のあと、我々はあてがわれた宿舎に入って休んだ。しばらくすると領主からの使いがやって来て、コルテスと五人の幕僚、それに通訳のわたしとマリーナは、護衛の兵士につきそわれて領主の館へ向かった。
会見がはじまった。領主(今後、この男のことを太っちょ領主と呼ぶことにしよう)は大勢の高官にとりまかれていた。コルテスは自分のほうから先に領主の肩を抱き、領主も香をふりかけながら、丁重に親愛の念をこめた挨拶を返した。
贈り物が持ってこられた。金細工と豪華な布地であったが、金のほうはたいした値うちはなさそうだった。
太っちょ領主がまず「ロペルシオ、ロペルシオ」とくり返し言ってから、何ごとかセンポアラの言葉で述べた。彼の随員がそれをメシカの言葉になおす。マリーナがそれをひきとってマヤ語に訳し、それをわたしがエスパーニャ語にかえてコルテスにつたえる。センポアラ人はトトナカと呼ばれる部族に属していて、この部族の使う言葉はメシカの言葉とはかなりちがうが、ロペルシオというのがまさにそれで、「主君よ、大いなる主君よ」というほどの意味らしい。この言葉につづけて領主が述べたのはこういうことだった。
「どうか贈り物をお受けとりくだされ。もっとたくさんあれば、もっともっと喜んでいただけるものを。どうかお気をわるくされないでくだされ」
コルテスはこういう初対面の場面では必ず口にする通告(レケリミエント)を行った。いつもの決まりきった言上である。
通告を聞きおえると、領主は深いため息をついた。
「我々が、メシカのモクテスマ王に征服されてしまったのはごく最近のことでござる。情け容赦のない彼らは、黄金や宝石とみればたとえ米粒ほどのものでも持ちさってしまうので、いまや、この町には黄金も宝石もそのかけらすら残っておらんありさまじゃ。そればかりか、モクテスマの神の生贄に捧げるためだとか、王宮の畑で働かせるためだとかいって、働きざかりの若い男や若い娘を年に何十人も連れ去ってしまう。見ばえのいい女とみれば自分らのなぐさみものにする。なにしろモクテスマは強大な軍隊をもっておって、多くの属国を従えておるので、我々にはとてもたちうちができんのじゃ」
声をふるわせてそう言うと、太っちょ領主はさめざめと泣きだした。
コルテスは言った。
「ご事情はよくわかった。しかし、我々はここへ来てまだ日があさいし、モクテスマのことについてもよく知らない。それに、これからキアウィットランというところを見にいくことになっている。そこから帰ってきてから、貴公がお嘆きの問題についてとくと考えることにしたい」
領主は幾度もうなずきながら、
「お願いいたす、お願いいたす、お願いいたす」
と言った。
コルテスは苦笑いしながら、太っちょ領主のこんもりと盛りあがった肩を軽くたたき、「それではこれで失礼する」と言って席を立った。
翌朝、我々は北の方(かた)にあるキアウィットランに向けてセンポアラを発った。途中、小さな村で宿をとり、翌日の午前、大きな岩山のきりたった崖の上にあるキアウィットランに到着した。
要塞のような町の造りから予想された抵抗はいっさいなく、我々は何なく町に入った。兵士は全員完全武装していたのだが、これではまったく拍子ぬけである。住民たちは、山道を登ってくる我々のあまりに異様なその風体を見て、怖れのあまり逃げだしてしまったのだ。
キアウィットランの遺跡(断崖絶壁のふちに建つピラミッド)
サイト「マヤ遺跡探訪」より引用(表記はキウイストゥラン)
人っこ一人いない。我々は町でいちばん高いところにある広場へ出た。例のごとく神殿ピラミッドが建っている。その神殿ピラミッドの頂きから、長い衣をまとった神官たちが十人ばかり降りてきた。彼らは我々のところにやってきて香をふりかけ、丁重に挨拶をした。
ありがたいことに彼らはメシカの言葉を理解した。彼らによると、住民はいまは身をひそめているが、我々の正体がわかって自分らに危害を加えるおそれがないと知れば、すぐにでも出てくると言った。コルテスはレケリミエント(通告)をてみじかにふるい、そういうわけなのだから住民は安心して出てくるがよろしいと言った。
二人の神官が伝令にとんでいった。しばらくすると、町のカシケが家来をひき連れて我々のところへやってきた。コルテスはそのカシケに対し丁重に挨拶し、ガラス玉とがらくた同然のエスパーニャの品々を彼に与えた。カシケは返礼としてトウモロコシのパンと七面鳥をさしだした。
カシケは、要塞のごとくに堅固な町のつくりを自慢した。コルテスはそつなく、「確かに防御のゆきとどいた手ごわい町でござる」と相づちをうった。逃げ足もなかなかのものではあるがな、とはさすがに言わなかった。
この町のカシケとコルテスがこうして話をかわしているところへ、家来の一人があたふたと駆けつけてこう告げた。
「センポアラの領主殿がやってきましたぞ」
町の入口のほうを見やると、確かにあの太っちょ領主が大勢の家来にかつがせた輿に乗ってこちらへやってくる。あの身動きもままならぬ大きな体を、一昼夜をついやしてこの山上の町まで運ばせてきたからには、よほどの重大事があったにちがいない。